課題の分離をして楽に生きる
◇◆現代日本では珍しくないアダルトチルドレン◆◇
課題の分離ができないと、生きづらさに繋がります。アダルトチルドレンという言葉を聞いたことがありますか? 以前は専門家からしか聞きませんでしたが、最近は名前を知っている人も多いように感じます。しかし、具体的に理解している人は、まだまだ少なさそうです。
毒親育ちしかならない珍しい症状だから、別に知らなくても問題ないよね。付き合い方が分からないから、深入りしないでおこう。えっ、自分がアダルトチルドレン……失礼な!普通の家庭で育ったんだけど。
こんな感じで他人事に感じる人がほとんどだと思います。ところが、日本の家庭の95%以上が何らかの機能不全を抱えており、8割の成人にアダルトチルドレンの傾向があるという統計データがあるくらい身近なものなんですよね。例えば、忙しくて親が子どもと向き合う時間を取れなかったりしますからね。子ども時代に寂しい思いをしなかった人、無理しないでいられた人の方が珍しいんじゃないでしょうか。
◇◆自分と他人の責任を線引きできない問題◆◇
責任を他人の分まで背負ってしまう人がいますが、アダルトチルドレンの症状の一つです。真面目すぎる、優しすぎる、責任感が強すぎる、メランコリー親和型という性格があります。典型的なうつ病になりやすい性格です。うまくいかないと自分を責めやすく、それが続くと心を病んでしまいます。

どれだけ担える責任の許容量が大きな人でも、他人の責任まで果たせません。なぜなら、他人の意志が関係するからです。例えば、話を無視して不摂生を続ける患者の病気が悪化しても、医師にはどうにも出来ませんよね。
また、自分と他人の責任を線引きできないと、他人の意志に介入することになります。それは、自分と別の存在だと他人を尊重できないことになりかねません。先ほどの例なら、医師が患者の意志に関係なく無理やり治療したら問題ですよね。極端な話、ベッドに縛り付けて病気が回復するような生活をさせたら、人権問題になっちゃいますからね。
責任感が強いのは良いことだと思われがちですよね。しかしながら、アダルトチルドレンの強すぎる責任感は、時として危険なものです。自分が病んだり、他人とのトラブルに繋がってしまいます。何事も程良さが大切です。
◇◆アドラー心理学に基づく課題の分離の仕方◆◇
では、自分と他人の責任を線引きするには、どうすれば良いのでしょうか。アドラーの心理学の中に課題の分離というのがあります。自分の意志で決まる物事は自分の責任、他人の意志で決まる物事は他人の責任と分けるのです。意志は選択と置き換える方が分かりやすいかもしれませんね。言動に移さなければ、現実世界での責任は生じないものですからね。

実際に課題の分離を考えてみましょう。子どもや部下がだらしないのは、誰の責任ですか? 教育してきた人が問題の場合もあるかもしれません。けれど、とりあえず現状だけ考えると、子どもや部下がどうするかで決まるので彼らの責任ですよね。それなら、それをどうにかしたいだと、誰の責任ですか? 自分の意志が入っているので、こうなって初めて自分の責任になります。
それでは、もう一つ例をあげてみましょうか。恋人に振られるのは、誰の責任ですか? 自分が悪い? いや、これも相手の選択ですからね。別れの原因はともかく、別れを選ぶのは相手になりますよね。別れを受け入れるか、引き留めるか、自分で決められる部分が自分の責任です。他にも、周りの目を気にする人は多いと思います。しかし、他人がどう思うかは、自分ではどうにもできないことですよね。自分の努力で変えられないことに労力を割くのはもったいないです。他人にどう思われるかより、自分がどう思うかを判断基準にした方が有意義に人生を過ごせると思います。
◇◆責任を押し付ける人間から身を守る◆◇
正反対の意味で課題の分離が出来ていない人もいます。他責的なパーソナリティ障害の人です。例えば、いじめられっ子といじめっ子、どちらにいじめの責任はありますか? いじめという行為をしているのは、いじめっ子の方ですよね。ところが、いじめは自分の責任だと言う人はまずいないと思います。パワハラやDVでも同じですが、あいつが悪いからこうするしかないといじめ気質の人は言いますよね。このいじめ気質というのが、専門的には何らかの他責的なパーソナリティ障害です。
アダルトチルドレンは、他責的なパーソナリティ障害のターゲットになりやすいです。他人の分まで責任を引き受ける性格と、自分の分まで責任を押し付ける性格ですからね。他責的なパーソナリティ障害の人にとって、鴨がネギをしょってきたようなものですよね。
ですから、ハラスメントのターゲットにされて傷付かないためにも、課題の分離をしましょう。アダルトチルドレンじゃなくても、彼らのターゲットにされることはあります。しかし、課題の分離が出来ていれば、早く違和感に気付いて対処できるものです。多少は傷付いたとしても、深手を負わずに済みますよね。課題の分離は、他人を尊重することにも、自分自身を守ることにも繋がるのです。